Nothing is permanent.

事業売却、離婚を経て、小さな自分と向き合いながら旅に出てます。

ガンジス川の罪と愛

バラナシ・ガンジス川

 

全ての罪を洗い流してくれると言われ、

 

祈りを捧げる場所。

 

死体が焼かれている横で

 

母親は洗濯物をする。

 

生と死が渾然一体になっている場所。

 

ヒンドゥー教最大の聖地。

 

 

 

だけど私は

 

バラナシにいた4日間を

 

ほとんどベッドの上で過ごした。

 

 

 

1日目、バラナシ駅に着いて

 

ガンジス川が近づいてくるほどに頭痛がしてきて

 

宿に着いた時には発熱をしていた。

 

私は昔から熱を出すと

 

40度を超えることが多いのだが

 

今回も久しぶりに40度を越していて

 

身体中が熱くてたまらなかった。

 

それでもずっと来たかったガンジス川

 

寝ているわけにはいかない。と

 

ガンジス川沿いを歩いたり、

 

街中を散策したりしていたんだけど

 

 

この街のエネルギーが

 

私の身体に入ってくるほどに

 

頭は重くなり、

 

どんどんと息苦しくなっていく・・・

 

倒れる寸前で宿に戻り、

 

そこから私は丸2日間、

 

何も食べず、お湯と塩を舐め、

 

ただただ、寝た。

 

 

 

 

3日目の午後に熱も引いて、

 

頭も少し軽くなったから

 

リハビリがてらご飯を食べに外に出た。

 

だけど街の空気を吸うごとに、

 

やっぱりまた頭が重くなっていく。

 

息が苦しくなってくる。

 

 

 

 

私はこの街のエネルギーを

 

受け止めきれない。

 

街の売り子の声も、

 

人々の笑ごえも、

 

ガンジス川のゆらめきも、

 

軒先きの商品さえも。

 

 

 

 

 

その日の夜、

 

ベットの上で重い頭を抱えて横になっていたら

 

母が亡くなった時のことが

 

急に頭の中に広がった。

 

 

 

 

母は私が11歳の頃、

 

病気で亡くなった。

 

ずっと入退院を繰り返していたし、

 

愛情表現というものが

 

全くなかった母だったので

 

母と私はよくドラマに出て来るような

 

「愛情たっぷりの優しくて病弱な母と

 

健気な娘」という感じではなく、

 

「いつも何考えているか分からない病弱な母と

 

同じく母の前で感情を出さない娘」で

 

親子愛も結びつきもそれほど強くなかった。

 

 

霊安室で亡くなった母を見た時も

 

「これで毎週、病院に行かなくて済むんだ。

 

友達と遊べるようになる。

 

もう退院した時に介護をしなくてもいいんだ。」

 

と悲しさよりもほっとしたことをよく覚えている。

 

 

その後の人生でも

 

母親がいないことを別段、

 

悲しんだこともなく、

 

悔やむこともなかった。

 

 

 

 

 

だけど私は今、母が亡くなった時の

 

霊安室にいて母の遺体を見て

 

小さくうずくまって泣いている。

 

 

 

母は首元にその年の母の日にプレゼントした

 

山吹色のスカーフを巻いていた。

 

イトーヨーカ堂で母に

 

どんな色が似合うのか

 

婦人雑貨コーナーをぐるぐると

 

なんども周りながら

 

考えに考えて選んだスカーフ。

 

 

「次に退院する時に巻いてね」

 

とプレゼントしたものだ。

 

 

 

あの時、悲しまないようにと

 

大したことではないと

 

必死に隠していた想いが今になって

 

吹き出してくる。

 

 

 

 

「どうして死んじゃったの?

 

これは次に退院する時に巻いてねって言ったじゃん。

 

巻く日を間違えてるよ。

 

どうして死んじゃったの?

 

私が嫌だなって思いながら介護してたから?

 

病室に行く時間が少なかったから?

 

家の仕事、ちゃんとやらない日があったから?

 

ごめんなさい。お母さん。

 

私のせいで死んじゃったの?

 

ごめんなさい。

 

ちゃんとするから

 

もっとしっかりするから

 

家のことも、妹の世話も、お母さんの世話も。

 

だから死なないで。」

 

 

 

 

 

私はもう11歳の子供ではなく、

 

33歳といういい大人で、

 

ここは霊安室ではなく、

 

バラナシの宿のベッドの上だって

 

わかっているのに

 

あの時の私の

 

叫びが

 

悲しみが

 

悔しさが

 

私の心を支配する。

 

 

 

もっとお母さんの笑った顔が見たかった。

 

もっとお母さんに幸せな姿を見たかった。

 

病気で苦しまないで人生を生きて欲しかった。

 

もっと生きてて欲しかった。

 

愛してるって抱きしめて欲しかった。

 

 

 

 

とめどなく涙が頬をつたう。

 

 

 

母が亡くなったことを

 

自分のせいだと思っていた?

 

母が好きだった?

 

母に幸せになってほしかった?

 

私は悲しかった・・・・?

 

 

 

 

今までそんな想いを持っていることすら

 

私自身、全く思いもよらなかった。

 

 

 

だけど私の中の11歳の私は

 

ずっとそんな風に自分を責めて

 

誰にも言えないまま、悲しさを

 

ひたすら抱えていた。

 

 

 

 

気がついてあげられなくてごめん。

 

ううん。

 

気がつかないふりをしていてごめん。

 

 

私も一緒に受け入れるよ。

 

 

 

私はいつの間にか泣き疲れて寝ていたらしく

 

気がついたら朝だった。

 

 

 

バラナシ4日目。

 

まだ少し頭が重いけど

 

幾分、すっきりしていた。

 

(あれだけ泣けば当たり前か笑)

 

 

 

やっぱり外に出る気にはならずに

 

夕方までゆっくりかけて準備をして

 

デリーに向かう夜行列車へと急いだ。

 

ガンジス川が遠ざかっていく。

 

街の雰囲気が変わってくる。

 

どんどん息を吸うのが軽くなってくる。

 

体調もほぼすっかり元どおりになってきた。

 

 

 

 

本当はバラナシでしたいことが沢山あった。

 

ガンジス川から昇る朝日も見たかったし、

 

ボートにも乗りたかった。

 

ブッタが初めて教えを説いたとされるサルナートも行きたかった。

 

インド一美味しいと言われるラッシーも飲みたかった。

 

あー・・・写真ももっと撮りたかったなぁ。

 

「ザ・インド」ってものがぜんぶ街につまっていたもんなぁ。 

 

 

 

 

だけど私はそのどれも出来ずに

 

バラナシのエネルギーに揉まれ、

 

発熱し、

 

体調を崩し、

 

20年越しの想いを吹き出し、

 

ベットの上で子供みたいに泣きじゃくっただけだった。

 

 

 

 

だけど私はそのためにここに来たんだと思った。

 

バラナシのエネルギーの端っこにいた

 

11歳の頃のうずくまって悲しんでいる私を

 

心の中にそっと連れ戻すために。

 

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このガンジスの流れのように

これからゆっくり自分が罪と思ってしまっていたことを

変えていきながら歩んでいきたいな。  

 

 

 

家族と愛

hikarinonaka-h.hatenablog.com

 

と、その続き

 

hikarinonaka-h.hatenablog.com