Nothing is permanent.

事業売却、離婚を経て、小さな自分と向き合いながら旅に出てます。

ネパールホームステイ・受け入れて愛するということ

太陽が沈んで

 

村を橙色に染めはじめた時、

 

薄暗い小さな牛小屋の中は

 

一層、暗くなり

 

アマのブレスレットの

 

シャラシャラという音と

 

じゅーじゅーと乳を絞りだす音だけが

 

大きく響いた。

 

私はかすかに見えるアマの後ろ姿を見ながら

 

その音に耳を傾け、

 

干し草の上に座っていた。

 

 

ネパール・ムルパニ村。

 

ここにホームステイに来ていた4日間、

 

私は子どものように

 

気づくとアマの後ろ姿を追っていた。

 

 

 

 

このホームステイのきっかけをくれたのは

 

ネパールで起業準備をしているKeiさん

https://www.keikawakita.com/entry/category/global

 

彼とカトマンズのカフェで

 

お互いのこれからの仕事のことや

 

存在思考について語っていた時、

 

「ひとみさん、行ってみませんか?」

 

と話が盛り上がり、

 

翌日、私たちは

 

バスに乗って村へ向かっていた。

 

 

 

私を受け入れてくれた家族は

 

同年代のラツゥミ・ディディ、

 

ディディの夫、パワン・ダイ、

 

2人のやんちゃな息子、

 

パゥラムとプランジャル。

 

お母さんのムイナ・アマと

 

お父さんのスリクシュナ・ブアの

 

ごくごくありふれたネパールの家族だ。

 

 

 

 

 

初めてこの家の中に入った時から

 

私は不思議な感覚を感じていた。

 

 

柔らかくって

 

ふわふわしていてあったかい。

 

大げさな感じではなくって

 

どことなく、そのまんまほっとするような。

 

優しい空気であふれていた。

 

 

 

 私はその空間に1人でいると

 

そわそわと落ち着かなくて

 

つい、アマの後ろについていく。

 

まるで子どものようだ。

 

 

 

 

私は物心ついた時から

 

「暖かい家族団欒」というものに

 

強い憧れを抱いている。

 

 

 

想像するのは食卓。

 

食卓にはお母さんが作った料理が並んでいる。

 

それを食べながら

 

今日あったことや、くだらないことで

 

みんなで笑いあう。

 

あったかくて、

 

ほのぼのして、

 

ほっとする家族の時間。

 

 

いつも、そんな理想の「家族団欒」を

 

想像しては胸が苦しくなる。

 

 

 

 

 

以前にもこの記事で少し書いたけど

 

hikarinonaka-h.hatenablog.com

 

 

私の母は病気を患っていて

 

いつも不機嫌そうだった。

 

 

食卓で私が母に向けて話す言葉は

 

いつも宙に浮いたまま、

 

行き場をなくしてぽとりと落ちる。

 

 

 

 

そして父はとても厳しい人で

 

私は父の思う「正義」や

 

「正しさ」の重圧に

 

いつも押しつぶされそうで怖かった。

 

 

 

いつ、何時、父の「正しさ」と

 

違うことを言ったり、行ったりして

 

殴られてしまうか、

 

私は常に緊張し、

 

やっぱり味噌汁をこぼしてしまう。

 

父の怒鳴り声と手が飛んでくる。

 

私は情けない気持ちで

 

床にこぼれてしまった味噌汁を拭く。

 

 

 

3つ下の妹は、今日もご飯を食べるのが

 

おそろしく遅い。

 

ゆっくりゆっくり、

 

この食卓を囲む空気すらも

 

食べているように見えた。

 

 

 

これが私が囲んでいる食卓の

 

いつもの風景、

 

シンッと静まり返った

 

いつもの空気。

 

 

 

 私はこの空気が苦しくて

 

逃れたくて、想像する。

 

暖かい、私の理想の「家族団欒」を。

 

 

 

そして今、目の前にその想像していた

 

柔らかくて、ほっとする

 

暖かい空間があった。

 

 

 

食卓でも、

 

朝の賑やかな時間でも、

 

午後の気だるい時間でも

 

どこでもかしこでもそこに感じられた。

 

 

 

彼らは、

 

テーブルの汚れも

 

テレビの調子の悪さも

 

子供たちのどうしようもない遊びも

 

ディディのふて寝も

 

アマの膝の痛みも

 

私の幼い行動も

 

全てを受け入れて愛していた。

 

 

 

 

受け入れるってこういうことなんだな。

 

受け入れられるってこういうことなんだなって

 

そしてその行為そのものが

 

ほっとするものなんだなって。

 

 

 

 

彼らの姿を見て、

 

その空間を感じて

 

やっと気がつくことができた。

 

 

 

 

私の思い出の中にある家族団欒は

 

ほっとできるものではなかったし、

 

いつもあの緊張感と

 

冷たい空気を思い出すと

 

悲しい気持ちで苦しくなっていた。

 

 

 

だけどその風景を思い出して

 

そんな私たち家族を

 

「なんだかいつも張り詰めていたねぇ。

 

どうしようもないねぇ。

 

みんな、いっぱいいっぱいだったねぇ。」

 

って受け入れて

 

そっと優しく包んで上げることはできる。

 

逃げなくていい、

 

否定しなくていい。

 

 

 

「これが私たちの団欒だったんだなぁ。」って

 

寄り添ってあげることはできる。

 

そう思ったら少し、愛おしい気持ちになった。

 

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 アマと一緒に料理を作る時間は私の大切な大切な時間ー。