Nothing is permanent.

事業売却、離婚を経て、小さな自分と向き合いながら旅に出てます。

チベット人の彼から学んだこと。足るを知る。

インド・ダラムサラ

 

1959年にインドへ亡命した

 

ダライ・ラマ14世チベット亡命政府があり、

 

6千人のチベット人が住んでいる

 

ダラムサラ地区へ滞在して来た。

 

 

 

 

雄大な山々と澄んだ空気、

 

静かな街並みとチベット人の穏やかな微笑み。

 

いっ・・・・癒される・・・・。

 

インドじゃないみたいだ・・・。

 

 

 

 

私はこの小さな町で

 

足の赴くままに歩いたり、

 

寺院に参拝しながら僧侶の方とお話したり、

 

チベット語を聞きながら

 

カフェでまったりしたりと

 

何をしたわけではないけど

 

人々とほんのちょっと話しを交わしたり

 

微笑みを交えたりして

 

そんなことが楽しくて

 

日々を過ごしていた。

 

 

 

 

チベット人の微笑み方って

 

柔らかくてふんわりしていて

 

何だろ、心がじわじわ~って

 

満たされる感じがするんだ。

 

 

こういう感じ、インドではあまりないからね。

 

すごく嬉しい。

 

 

 

 

そして私は一人のチベット男性と出会った。

 

いつものように寺院に参拝しに行っていた時、

 

ちょうど同じタイミングで狭いゲートをくぐる所で

 

「どうぞお先に」

 

「いやいや、どうぞ・・・」

 

そんなところから私たちの会話は始まった。

 

 

 

彼の名はDORULMA。29歳。

 

17歳の頃にチベットから亡命してインドへやって来た。

 

ご両親はチベットにいる。

 

 

「1ヶ月半くらいかけて

 

ヒマラヤの山を越えるんだよ。

 

中国政府に見つかったら

 

射殺されるからね、

 

昼間はじっと身を潜めて夜にゆっくり進むんだ。

 

沢山の人が死んでいったよ。

 

ヒマラヤの山は厳しいし、危険も多いからね。」

 

 

 

チベットで僕たちは何の自由もないよ。

 

学ぶ自由、暮らす自由、生きる自由、未来を選ぶ自由・・・・

 

だから危険を冒してでもインドへ行きたかった。

 

こっちに来れば沢山の仲間もいるし、

 

無料で学校へ行けたり、

 

衣食住のすべてが保証されているからね。

 

知っているかい?

 

インドには80校のチベット人学校があるんだよ。

 

僕もソーシャルワーカーの勉強を3年、

 

仏教の勉強を2年、学校で学ばせてもらった。」

 

 

 

「この間、ブッタガヤで

 

ダライ・ラマの法話があったんだけど中国人が

 

たくさん聞きに来たって聞いたよ。

 

同じ仏教徒だもんね。

 

僕はこのことを嬉しく思うよ。」

 

 

 

 

チベットの若者は国の自由を求めて

 

焼身自殺をしているんだ。

 

ここの写真にある人々も焼身自殺をした若者だよ。

 

人生って僕が喜べば周りも喜ぶ、

 

僕が悲しめば周りも悲しむ。

 

人生ってそうやって作るものだろう?」

 

 

(ここは何で彼が

 

焼身自殺と人生の話を急に繋げたのか

 

私にはよく分からず(私の英語力の未熟さもあり)

 

何だかそのあとも

 

深く聞いてはいけない感じだった。

 

もしかしたら彼自身もそれを選ぼうとした

 

時があったのかもしれない)

 

 

 

 

 

チベットの抱えている問題や現実は

 

書物などを通じて知ってはいたけれど

 

 

DORULMAが話す

 

DORULMAの歩んできた人生や

 

取り巻く環境は

 

私の想像をはるかに超えていて

 

だけどそれらの現実を

 

ただただ、淡々と話すDORULMA。

 

 

 

 

彼は「僕たちはこんなにも・・・・」とか

 

「中国政府は・・・・・」とか

 

そんな風に自分たちを強く被害者のように言うこともなく、

 

逆に中国政府を極端に批判するのでもなく

 

ただ、そのままの事実と

 

そのままの想いを

 

語るだけだった。

 

 

 

 

 

私はふと、

 

座禅でお世話になっている

 

お寺の住職さんが話されていたことを思い出した。

 

「「足るを知る」って

 

「ただ”そのまま”あるものを見る」ということなんです。

 

例えば、座禅で足を長い時間組んでいると

 

痺れて痛くなってきますよね?

 

そんな時ただ、痺れて痛い足があると

 

いう事実だけなのに

 

「ずっと座っているから・・・・

 

筋肉がこうなってああなって・・・」と

 

事実に自分の思いや

 

今までの経験とか色んなものを

 

くっつけてしまうんですよね。

 

悩みや問題なんかも私たちはつい大きなものに

 

してしまいます。」

 

 

 

 

 

 

 

 

私とDORULMAは

 

マニ車を回しながら

 

カフェでお茶を飲みながら

 

お散歩をしながら

 

チベタン料理を食べながら

 

 

 

ふと思い出したかのように

 

言葉をつなぎながら

 

チベットの問題だけでなく、

 

アジアを取り巻くそれぞれの国の戦争概念の話、

 

日本の教育、仏教の教えについてなど

 

ありとあらゆる話と思いを交えた。

 

 

 

 

DORULMAはどんなに大きな悲しみも

 

どんなに理不尽なことも

 

どんなに苦しいことも

 

ただ、淡々と「そのまま」を見ていた。

 

ただ、淡々と「そのまま」を感じて

 

思いにしていた。

 

 

 

 

それがどれだけ難しいことか・・・。

 

 

 

私もDORULMAのように

 

どんなに大きなことを思える

 

壁や悲しみが立ちはだかっても

 

「そのまま」を見られるようになりたい。

 

そんな風に強く思ったダラムサラ滞在だった。

 

 

そして全部は書ききれないけど

 

彼の言葉や人生から学んだことも沢山あった。

 

もっと勉強して世界を知らなくちゃ。

 

日本に産まれて

 

日本で生きている私だからできることも沢山ある。

 

小さなことで嘆いてうじっている時間なんてない。

 

もっと生きなくちゃ。真剣に。

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一緒に見た夕日が綺麗だったなぁ。