Nothing is permanent.

事業売却、離婚を経て、小さな自分と向き合いながら旅に出てます。

無い無いづくしの私が起業を決めた理由〜始まりから売却まで〜

今はインド・バラナシにいます。

 

ブッタが悟りを開いたとされる

 

菩提樹の下で座禅を組むことができて感無量!!!!

 

 

 

今日は旅とは関係ないんだけども、

私の起業についてちょっと書きたいと思う。

 

起業を決めた時の私は

 

 

◆学歴なし(中学校もほとんど遊びほうけて高校は3ヶ月で中退)

◆資格なし(当時は運転免許書だけ!)

※現在は日本オーガニック推進協議会認定

オーガニックコーディネーター資格保持

 

◆シングルマザー

◆資金なし

 

の何にもなし状態。

 

そんな私が、なんで起業を決意したのか、

 

なぜオーガニックという道を選んだのか、

 

始まりから売却までのことを

 

自分の棚卸しを含めて

 

少し書いてみたいと思う。

 

 

 

 



Part.1 始まりのはじまり。

 

1度目の事業

~始まりから売却まで~

 

 

 

 

 

私はオーガニックのショップとスタジオの

経営を6年し、

2017年の1月に企業にオーナー権を売却した。

 

 

 

ショップでは無農薬・無化学肥料の野菜、

オーガニックの食品、日用品、コスメなど

全国から厳選した商品を販売、

 

スタジオではオーガニック野菜の料理教室、

薬膳、ローフード、アーユルヴェーダなど

身体を整える講座やイベントを開催し、

 

 

 

私たちは

「オーガニックから

家族に幸せと笑顔の源を届けること」をモットーに

 

ショップとスタジオの両方で

オーガニックを楽しく続けられる情報を発信し続けた。

 

 

私自身は経営をしながら

 

スタジオの講師や

 

小学校や市の関係でお母さんや高齢者向けに

食と体の講座を行ったり

 

企業の研修などでオーガニックの知識を伝えたり、

 

起業家として登壇したり、

 

保育園や幼稚園の子どもたち向けに

 

食育イベントを行ったりと

 

外部向けの仕事もよく引き受けていた。

 

(”たりたり”ばっかり笑)

 

 

 

 

よく、「昔からオーガニックが好きだったんですか?」

 

と聞かれるのだけど

 

私は自分の子供を授かるまで

 

コンビニ弁当、レトルト品、惣菜だけで生きていた。

 

ファミリーマートのおろし竜田弁当が

 

大好物だったし、

 

マックのグラコロバーガーは私の冬の風物詩だった。

 

料理も、麻婆豆腐は”麻婆豆腐の素”で作るものだと

 

本気で思っているレベルだった。

 

(ひどいよね笑)

 

そして

 

「オーガニックなんてストイックでめんどくさいもので

 

私には無関係の世界のもの」と

 

ちょっと毛嫌いもしていた。

 

 

 

そんな私が20歳で母親になり、

 

子供の身体のことを考えて

 

少しずつ手作りの物を増やし、

 

”なんとなく身体に良さそう”な

 

オーガニックの物も

 

気になりだして、

 

ちょっとずつ選ぶようにも

 

なってきたんだけど

 

 

当時の”オーガニック野菜”は

 

いつもちょっと萎びていて、

 

あんまり鮮度も良いように見えず、

 

値段が高い割に美味しさもあまり感じられず、

 

けど身体に良いらしいから・・・と

 

なんとなくまだよく分からないまま

 

買っていた頃だった。

 

 

 

 

そして2010年の春。

 

 

たまたまご縁で

 

無農薬・無科学肥料の野菜を作っている農家さんの

 

畑に遊びに行く機会があった。

 

畑を見せて頂いている時に、

 

青々とツルを伸ばし、ぷっくりとぶら下がっている

 

スナップエンドウの畑が目の前に広がった。

 

農家さんはプチッともぎ取って

 

「ほらっ。これそのまま食べてごらんよ」と

 

私に差し出してきた。

 

 

生のままスナップエンドウを食べるなんて

 

初めてだ。

 

茹でなくても大丈夫なのかな?

 

お腹、壊したりしないのかな?

 

おそるおそる、ひと口囓る。

 

びっくり・・・・・。

 

口いっぱいに広がる水々しさと甘み、青々さ。

 

「なんでこんなに美味しいの・・・?

 

今まで食べていた”オーガニック野菜”とは全然、違う・・・。」

 

そしてコクンと飲み込むと

 

お腹の中がぐわーーーって喜びだした。

 

細胞ひとつひとつが

 

「生きている食べ物がきたぞーー!」って

 

イキイキと満ち溢れて始めたのを感じた。

 

 

「これが本来の生きている食べ物のパワーなんだ・・・

 

 

食べ物って生きているんだ。

 

 

食べる”って本来、こんなに喜びに満ちた行為なんだ・・・・」

 

 

生まれて初めての感覚だった。

 

 

「こんなに生きるパワーが沢山詰まった野菜を、

 

まだ体が素直な子どもたちが食べ続けたら、

 

どんなに生きる土台が強い子どもが育つのだろうか!?

 

命の源になるこの野菜を

 

子供達に伝えて続けていきたい。

 

食卓に当たり前のように並ぶ未来を作りたい!!」

 

 

 

当時の私はシングルマザーで

 

娘と2人でアパートに住んでいた。

 

生活をしていけるかどうかは

 

全て、私の収入にかかっていた。

 

最終学歴は高校中退、

 

資格は運転免許だけ

 

経営なんてしてこともない。

 

「食べていけなかったらどうしよう・・・」

 

そんな不安も沢山あった。

 

 

 

だけど私は、自分が思い浮かべた未来の中で

 

日本中の子供たちと家族が笑顔に包まれて

 

食卓を囲んでいる様がありありと浮かんで

 

日本全体がもっともっと元気に豊かになる未来像に

 

ワクワクしっぱなしだった。

 

 

 

 

 

私はそれから程なくして

 

小さな軽トラックを買った。

 

クリーム色に車体を塗り、

 

赤と白のストライプの幌をつけ

 

木箱を積んで

 

オーガニックの野菜の移動販売を始めた。

 

2010年10月。

 

私が26歳、娘6歳。

 

小さな出発だった。

 

 

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めっちゃ懐かしいわーー!

一緒によく頑張った相棒。