Nothing is permanent.

事業売却、離婚を経て、小さな自分と向き合いながら旅に出てます。

ネパールでの瞑想

私はとってもちっぽけだ。

 

振るとカラカラ音がしてしまうほどに

 

私の中身は空っぽだし

 

なーんにもない。

 

 

これは自分を卑下しているのではなくって

 

そういうものなんだなって

 

 

大声出して、

 

ジャンプしてたら

 

ふと、気がついた。

 

 

「人間はちっぽけだ。」

 

 

 

 

ネパール・カトマンズ

 

 

 

「うおーー!

 

うぉぉぉぉ・・・・・!!!」

 

 

私は喉が枯れるほどに

 

大声を出して、

 

変なリズムを

 

身体に刻みながらジャンプをしていた。

 

 

 

カトマンズから車で30分くらいの山奥にある

 

瞑想センター「OSHO TAPOBAN」。

 

 

ここではDynamic meditationと言って

 

その名の通り、

 

音に合わせて

 

身体を激しく動かし、

 

声を出し、

 

「動」の瞑想で

 

身体の中に溜まったものを出す。

 

 

 

そして音がやみ、

 

動きを止めて

 

「静」の瞑想に入り、

 

内観をする。

 

 

 

 

これを朝から晩まで

 

好きな時に

 

好きな動きで

 

瞑想を続ける。

 

 

 

 

 

私は座禅が好きで

 

日本でかれこれ5年半くらい、

 

禅寺に通っている。

 

山と緑に囲まれたその寺は

 

様々な生き物と植物の声が

 

春夏秋冬、

 

心地よく変わっていく様が

 

とても気持ちいい寺だ。

 

 

 

 

座禅を始めたきっかけは

 

あるプロジェクトチームの

 

リーダーをしていた時、

 

どうしても好きになれない人がいた。

 

いや・・・

 

もう、大っ嫌いだった。

 

話し方も、内容も、

 

仕草も、何もかも・・・

 

彼女の全てが嫌いだった。

 

 

私が人を嫌いになることは

 

とにかく珍しい。

 

どんな人でもウェルカムの私なのに


彼女と話すと

 

衝突してしまう自分が嫌だった。

 

自分の中の

 

どろどろした感情で

 

手に負えなくなる自分が嫌だった。

 

「どうして彼女を好きになれないのだろうか』

 

「どうして衝突してしまうのだろうか」

 

頭では分かっていても

 

心がついていかない。

 

 

その心を整えたくて、

 

座禅を始めた。

 

 

結局その2ヵ月後、

 

彼女がプロジェクトから降りることになり

 

彼女とは分かり合えないまま、

 

お別れをしてしまったけど

 

そのまま座禅だけは続けている。

 

 

 

 

座禅ではいつもただ、

 

静かに足を組む「静」の

 

瞑想だけだったから

 

OSHO TAPOBANの

 

「動」の瞑想は初めてで、

 

戸惑いを覚えた。

 

 

 

 

みんななぜだか

 

にこにこ笑顔で

 

気持ち良さそうに

 

ぴょんぴょん跳ね、

 

首を振り、

 

身体をぶるぶる揺らし、

 

奇声を発する・・・

 

 

私はなんとなく、

 

その場に馴染めず

 

控えめに身体を揺らしていた。

 

 

「こういう風にトランス状態に

 

持っていくんだね。

 

この後、教祖とか出てきちゃったりして。

 

あの人、すごいリズムだな・・・・」

 

頭の中がくだらない思考でいっぱいになる。 

 

 

 

 

私は怖かった。

 

周りからどう見られるのか、

 

バカにされないか、

 

だから私は頭で理解しようとする。

 

いつだってそうだ。

 

ぐるぐる頭で考えて

 

分かったふりをして

 

自分を守ろうとしてしまう。

 

 

 

 

 

怪しくても、

 

教祖が出てこようと

 

もう、なんでもいい。

 

 

私はそんな私を超えていきたい。

 

 

 

 

 

目を閉じて

 

聞こえる音だけを頼りに、

 

揺らす、揺らす・・・・

 

身体が気持ちいいように

 

ぐねぐね動かして

 

音と身体に耳をすます。

 

 

気づいたら私は大声をあげていた。

 

「うぉーーーー!!

 

おおおおおーーー!!」

 

自分の声が頭の中に響く。

 

 

足が地面についているのか

 

いないのか境目が

 

もうよく分からない。

 

 

とにかく動かせ。

 

自分の身体を。

 

 

 

私が思っていること、

 

持っていること、

 

やってきたこと、

 

そんなもの全部、捨ててしまえ。

 

 

 

 

思考も、習慣も、気持ちも。

 

ぜんぶ出して空っぽにするんだ。

 

 

 

 

人はそもそも、

 

ちっぽけなものではないか。

 

 

一つ一つの行動や人生に

 

何か意味をつけて

 

思いや思考で装飾をして

 

ゴテゴテにして

 

大きく、立派に

 

見えるようにしているけど

 

 

 

本来は何にもない。

 

そこには何にもない。

 

勝手に私たちが

 

存在を意味づけをしているだけで

 

本来はただ、

 

その場、その時に「ある」だけ。

 

 

 

 

人の好き嫌いも、

 

どろどろした感情も

 

不安も

 

本来はそこに、何もない。

 

 

 

 

私の勝手な経験や思考を

 

ゴテゴテにくっつけて

 

意味づけをして、

 

勝手に囚われて、

 

勝手に憎んでただけだった。

 

そしてそんな自分自身も。

 

 

 

 

私は空っぽになりたい。

 

カラカラ音がするくらい。

 

常に、そのままで

 

その時「ある」ことだけを感じていたい。

 

 

 

 

 そんなことを強く感じながら

 

私はまた飛び跳ねる。

 

 

 

私の前にいた女性が

 

心底、嬉しそうに

 

大きな口を開けて

 

両手を広げて

 

ぐるぐる回っているのが見えた。

 

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