Nothing is permanent.

事業売却、離婚を経て、小さな自分と向き合いながら旅に出てます。

ミャンマー人の優しさ

 

ミャンマー

 

初めてこの国に降り立った時、

 

私は帰宅途中の

 

ミャンマー人に埋もれながら

 

トラックの荷台に乗っていた。

 

 

 

みんな私のことを少し気にかけながらも

 

特別なコミュニケーションも

 

会話も、何もない。

 

だけど不思議と

 

あったかく見守られているような

 

そんな空間だった。

 

 

 

 

大きなバスが行き来する場所に近づいた時、

 

斜め前にいたご老人が

 

「あなたはスーレーまで行くんだろう?

 

ここで降りてバスに乗りかえなさい」

 

と教えてくれた。

 

 

 

きっと旅行者の私を

 

ずっと気にかけてくれていたんだろう。

 

初めて聞くそのご老人の声は

 

とても優しい口調だった。

 

 

 

 

 

そしてトラックを降りた後も

 

同じ方向に向かう女性が

 

すっと歩みを共にしてくれ

 

「バスはこっちだよ。」と

 

スーレー行きのバス停まで連れてってくれた。

 

 

 

 

 

バスに乗っても

 

私のスーツケースが動くと

 

そっと止めてくれる人、

 

 

 

「もうすぐ左側に大きなパゴダが

 

見えるから見ていてごらん」

 

と教えてくれる人・・・・

 

 

 

 

どの人もその前後にコミュニケーションはない。

 

私に色々、聞いたり会話をしたりはしない。

 

 

 

 

ただ、

 

淡々と

 

淡々と

 

優しい行動や

 

言葉を

 

その都度、都度で

 

そっと控えめに渡してくれる。

 

 

 

 

 

私も

 

淡々と

 

淡々と

 

受け取った。

 

 

 

この行き来がとても心地よいのだ。

 

 

 

そこには大げさな笑顔も

 

ボディランゲージも、

 

大きな声もない。

 

目に見えるものは控えめだけど

 

ただ、

 

優しさだけがそのままあった。

 

 

 

 

これはこの時だけでなくて

 

ミャンマーにいた8日間で

 

至る所で感じられた。

 

 

 

観光地の真ん中でも

 

小さな町の中でも

 

立ち寄った食堂でも

 

軒先きでも・・・・

 

 

 

 

そんなミャンマー人を見て

 

私は

 

相手に対して

 

ただ、優しさをそのまま渡すことが

 

果たしてどのくらいできているだろうか。

 

と考えていた。

 

 

 

 

 

私は、その優しさの行動や言葉に

 

「相手が喜んでくれたらいいな」

 

という気持ちも

 

一緒に差し出してしまってはいないか。

 

 

 

 

場合によっては

 

「ここまでしてあげてるんだよ」

 

という押し付けのような気持ちまで・・・。

 

 

 

 

 

初めは相手のことだけを

 

純粋に思って

 

「優しさ」というものを

 

差し出そうとしていたのに

 

そこに

 

自分の気持ちや

 

想いをどんどん乗っけて、

 

本来の「優しさ」とはかけ離れた

 

相手に渡していることはないだろうか。

 

 

 

 

 

ただ、ただ、純粋に

 

そっと

 

相手を思って差し出す。

 

 

 

ミャンマーの人々を見ていて

 

私も彼らと同じように

 

そっと、

 

優しさを差し出したくなった。

 

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市場っていいよね〜。