Nothing is permanent.

事業売却、離婚を経て、小さな自分と向き合いながら旅に出てます。

私が世界一周を始めた理由

私はこの4月から世界一周を

 

アフリカ、モザンビークから始めた。

 

娘の山村留学が決まり、親元を離れることになったこと、

 

事業売却をしてビジネスが一区切りついたこと、

 

それによって資金を調達できたことが

 

この時期に行けるきっかけを作ってくれた。

 

 

わたしが世界を周りたい理由は3つある。

 

 

 

1、人生は一度きり、後悔をしない生き方をしたい。

 

生きている間に様々なことを見て、

 

感じて、経験して、思いっきり楽しみたい。

 

 

 

 

2、様々な国の文化、思想、家族を見てみたい。

 

人々は何を大切にして、何を信じ、誰を愛し、

 

どんなことに喜びを感じるのか。

 

人とはなんだろうか、

 

文化とは思想とはどんなところから生まれるのか。

 

これを実際の人々の生活の中で見て感じたい。

 

 

そして3つ目は

 

世界の様々な問題に対する支援の仕方をこの目で見て、

双方が良い形でまわる支援の仕方を考えていきたい。

そして、

どの国の子供達も、なににも虐げられず、

その子らしく人生を謳歌できる世界を作る手助けがしたい。

 

 

 

 

「世界を見ること、そして世界のために何かをすること」

は私の中学生の頃からの夢だった。

 

 

 

私が中学校1年生の時、

 

国語の時間に先生が1冊の本を持ってきた。

 

「えー、今日は紹介したい本があります。

 

黒柳徹子さんの

 

トットちゃんとトットちゃんたち」です。

 

知ってる人いるかな~??

 

この本は、ユニセフの親善大使として

 

途上国を周られた

黒柳さんの体験をまとめた本です。

 

前の人から回すから少し見て、次の人に渡してくださいー」

 

私は回って来た本をパラパラとめくって

 

1枚のアフリカの赤ちゃんの写真が目に止まった。

 

手足はガリガリでお腹だけが異様に膨らんでいる。

 

頭も顔も骨が浮かび上がっているほど

 

肉がなく、大きな眼だけが私をじっと見ていた。

 

胸に迫ってくる苦しさと共に、怒り、悲しみ・・・

 

色々な感情が一気に私の心を駆け巡った。

 

「世界にはこんなにも不平等で、

 

今この瞬間にも虐げられている人がいるのか

 

わたしがこの人たちにできることは何があるだろうか。

 

同じ人間だもの。助けたい、一緒に生きていきたい。」

 

強く、強く思ったあの日。

 

 

それから20年間、

 

私は途上国の問題や支援について様々な文献や

 

書物、映画などで追っていた。

 

 

カースト制度の中で生きながら焼かれる女性達、

 

児童労働、児童買春問題、

 

アフリカの貧困と暴力、

 

難民、紛争の中で生きる人々・・・

 

 

 

そして、追えば追うほどに

 

その問題の複雑さと根っこの深さと

 

途上国の人に先進国の私たちがしている支援そのものの

 

難しさと影の部分を感じることも多くなった。

 

 

 

支援する者、される者に分かれることで

すでにそこから問題は始まっているのではないだろうか。

 

 

元々、先進国が自分たちで種をまいて、

それを正義の名のもとに刈り取っているだけではないか・・・

 

人はそもそも人の役になんて立てるのだろうか?

 

 

色々な疑問とともにだんだん、

 

自分が支援者にもその国にも

しっかり良い形で支援することなんて

できることがあるのだろうか。

 

 

という不安もたくさん感じた。

 

だからこそ、もう書物の中だけではなく、

 

一度この目で実際の支援や問題を見て、

 

考えたいと思うようになり、

 

今回の旅の一つのテーマに決めた。

 

行ける場所も限られているし、

 

たった何日間や

 

一週間そこらで見えるものなんて

 

たかが知れていると思うし、

 

わからないことも多く、

 

受け取ることも全てできる器では

 

ないことも分かっているけど

 

だけど私はひとまず動いて、見て、体感することをしたい。

 

 

 

1、2番目の世界を周る理由も

 

同じくらい大切だから

 

息抜きもたくさん入れつつ、

 

真面目になりすぎず、

 

大きく息を吸って吐いて

 

世界を見ていきたいと思う。

 

自分との向き合いも変わらず続けながら。

 

 

 

人生って素晴らしい。

 

そして楽しいね。

 

こうやって世界を周ることが出来ているのは

 

支えてくれる家族、友人がいてくれているから・・・。

 

いつも寝る前にみんなの顔を思い浮かべては

 

ありがとうと幸せを願っています。

 

では今日もいってきます。

 

 

f:id:hikarinonaka-h:20171122154523j:plain

 色々な国での陸移動が大好き。

過酷でも何時間でも乗ってられる。

軽々と理解を超えるインドの始まり

インドに入ってあっという間に10日が過ぎた。

 

もうびっくりするほど時間が早い。

 

ん・・・・・?

 

まじで10日も過ぎたの・・・?

 

書いててさらにびっくり。

 

早すぎるーーーー。

 

 

 

 

そして色々なことが未消化のまま

 

どんどんと体験と出来事だけが

 

積み重なっていて、

 

合わさってないもどかしさを感じている。

 

 

 

 

インドはとにかく想像しい。

 

ビールガンジから国境を越えてインドへ。

 

その後、バスを乗り継いで

 

パタナーの街に着いたのは早朝6時だった。

 

 

 

 

爽やかな朝とは遠く離れたパタナーの朝。

 

人々は道端に勢ぞろいして

 

お尻を出してしゃがみこんで

 

朝のトイレタイム中。

 

 

 

道端にうず高く積まれたゴミ溜めで

 

山羊と犬が餌を取り合って喧嘩をしている。

 

 

砂埃と排気ガスがひどくて

 

空はずっと薄もやで翳ったまま。

 

 

ボコボコの道路は

 

工事のトラック、リキシャ、バイク、バスがひしめき合っていて

 

常にクラクションと人々の声が

 

響き渡る。

 

 

 

自分の想像や理解の範疇を

 

軽々と超えてくる街、人々。

 

 

 

とにかくこの騒々しさと

 

インド人一人一人の存在の強さと主張が

 

町全体の空気を作っていて

 

ただ、歩いているだけで

 

とてつもなくパワーを吸い取られる。

 

 

 

そしてインド料理も同じだ。

 

そのパワーと主張が強いから

 

食べる時もおそろしくパワーを使う。

 

 

さすがインド・・・・

 

食べる時くらいリラックスさせてくれ・・・・。

 

 

 

跳ね返す力がないと

 

どんどんと飲まれていってしまう怖さと

 

インドの底のないパワーの深さに

 

圧倒されながら

 

負けないように

 

飲まれないように

 

日々を過ごしています。

 

 

 

そして同じくらいパワーをもらえる

 

人々との出会いも沢山あって・・・・

 

 

 

楽しいねぇ。インドって。

 

そのことも少しづつ書いていきたいと思う。

 

ひとまず、今日はここまで。

 

f:id:hikarinonaka-h:20171118192048j:plain


赤ちゃんをあやしていたら

腕の中でスヤスヤ眠ってくれて至福の時。

 

 

ネパールホームステイ・私たちはそのままで愛おしくって素晴らしい。

ネパール・ムルパ二村での

 

ホームステイが終わって4日が過ぎた。

 

別れの日より、次の日、

 

次の日より3日後・・・

 

時間が経てば経つほどに

 

想いは濃くなり、

 

心がじわじわと暖かくなっていく。

 

 

いい時間だったなぁ・・・。

 

みんな元気かなぁ・・・・。

 

そんな風に思い出すと

 

愛おしい気持ちが

 

胸いっぱいに広がって

 

顔がゆるんでしまう。

 

 

 

 

 

ムルパニ村でのホームステイ生活は

 

特別なことはなにもしていない。

 

 

私の朝は アマのお祈りの鐘で目が覚める。

 

私が起きると一目散に駆けつけるのは

 

いつもプランジャル。

 

 

 

ブアと一緒にソファに腰掛けながら

 

熱いチャイをすする。

 

ブアが私を見る。深くて優しい目。

 

私たちは微笑みあってまたチャイをすする。

 

パゥラムがズボンが気に入らないと

 

ディディに抗議をしている声が聞こえる。

 

 

 

 

 

昼間は子供達が学校へ行っていて静かな時間。

 

ディディとのおしゃべりタイム。

 

子育てのこと、女性としての仕事観や

 

家庭について・・・

 

私たちはお互いの肩を抱いたり、

 

手に触れたりしながら

 

飽きることなくおしゃべりをした。

 

 

アマはいつでも家の中で

 

あれこれと動いている。

 

 

 

 

 

夜になるとダイが仕事から帰って来た。

 

買ってきてくれた鶏肉にみんなで大喜び。

 

だけどパゥラムはそんな時でもゲームに夢中。

 

みんなでダルバートを頬張り

 

プランジャルと「忍者ハットリくん」を見て

 

一日が終わる。

 

 

なんの変哲もない日常。

 

だけどここには全てがつまっている。 

 

 

 

生活そのものを

 

家族を

 

行動を

 

彼らは全て、

 

愛おしいものとして受け入れてしまう。

 

 

 

「世界も

 

人々も

 

そのままでいるだけで愛おしく、

 

素晴らしいものなんだ。

 

そして私自身も・・・」

 

 

 

彼らと接していて

 

自分の中でやっと言語化できて

 

心底、この言葉を信じることができた。

 

 

 何かこれといった

 

大きな出来事があったわけではない。

 

 

お風呂に入ってじんわり

 

ゆっくり身体が温まっていくような

 

そんな感覚に近くて

 

 

「あぁ・・・。そういうものだったんだ」

 

って霧が晴れていくように

 

じんわりと気づけた。

 

 

 

だけどこれは彼らだけではなく、

 

今まで出会ってくれた国の人々と

 

身近にいてくれる友人、家族のおかげでもある。

 

 

 

 

 

私はその国の文化や思想をできるだけ

 

当たり前に流れる時間の中で見たくて、

 

今までも友人や知人を繋いでもらって

 

様々な国でホームステイをさせてもらった。

 

(ほんと、皆々様ありがとう)

 

モザンビーク、マラウィ、モロッコエストニア

 

ラトビアポーランドベトナム・・・・

 

どの家庭でも私を暖かく迎えてくれ、

 

受け入れてくれていた。

 

 

 

だけど私はそれを

 

上手に受け止めることができなかった。

 

彼らの愛情をそのままで

 

受け取ることができなかった。

 

 

 

 

「何かしなければいけないだろうか」

 

「お世話になっているんだから

 

何か役に立たなくっちゃ」

 

 

「こんなところで寛いでいたら

 

気を悪くするだろうか・・・」

 

 

私は常に何かを考え、

 

自分の存在価値を

 

行動や行為で確かめようとした。

 

 

 

 

だけどだけど、違うのだ。

 

彼らは私をそのままで愛していてくれた。

 

良いところも悪いところも

 

丸ごとそのままで、

 

ただ、いるだけで

 

私をそのまま受け入れてくれていた。

 

私はずっとそれに

 

気づかなかっただけで

 

それは確かにその場にあった。

 

 

 

それは日本でも一緒だった。

 

家族や友人、

 

出会ってくれた人々も

 

ちゃんと私をそのままとして愛してくれていた。

 

見えづらいものも沢山あったけど

 

確かにそこに愛はあった。

 

 

 

 

私が勝手に

 

自分の存在価値を信じられていないだけだった。

 

 

私が勝手に

 

自分の行動や言動に

 

良し悪しをつけて判断していただけだった。

 

 

 

 

 なんどでも言いたい。

 

この気づきを確かなものにするために。

 

 

 

私は愛されていたし、

 

今も愛されている。

 

そのままでいるだけで素晴らしく

 

愛おしい存在だ。

 

 

 

 

 

そしてあなたも。

 

あなたは愛されているし

 

そのままでいるだけで素晴らしく

 

愛おしい存在だ。

 

そのままのあなたが私は大好きだ。

 

 

 

みんなみんな素晴らしいし、

 

そのままでいい。

 

世界は素晴らしく、愛おしいものだ。

 

 

f:id:hikarinonaka-h:20171107165911j:plain

 そんなことを生活の中で

常に見せてくれていたネパールの大好きな家族。

 

 

 

 この話とも繋がる。

hikarinonaka-h.hatenablog.com

 

ホームステイ序章とも

hikarinonaka-h.hatenablog.com

ネパールホームステイ・受け入れて愛するということ

太陽が沈んで

 

村を橙色に染めはじめた時、

 

薄暗い小さな牛小屋の中は

 

一層、暗くなり

 

アマのブレスレットの

 

シャラシャラという音と

 

じゅーじゅーと乳を絞りだす音だけが

 

大きく響いた。

 

私はかすかに見えるアマの後ろ姿を見ながら

 

その音に耳を傾け、

 

干し草の上に座っていた。

 

 

ネパール・ムルパニ村。

 

ここにホームステイに来ていた4日間、

 

私は子どものように

 

気づくとアマの後ろ姿を追っていた。

 

 

 

 

このホームステイのきっかけをくれたのは

 

ネパールで起業準備をしているKeiさん

https://www.keikawakita.com/entry/category/global

 

彼とカトマンズのカフェで

 

お互いのこれからの仕事のことや

 

存在思考について語っていた時、

 

「ひとみさん、行ってみませんか?」

 

と話が盛り上がり、

 

翌日、私たちは

 

バスに乗って村へ向かっていた。

 

 

 

私を受け入れてくれた家族は

 

同年代のラツゥミ・ディディ、

 

ディディの夫、パワン・ダイ、

 

2人のやんちゃな息子、

 

パゥラムとプランジャル。

 

お母さんのムイナ・アマと

 

お父さんのスリクシュナ・ブアの

 

ごくごくありふれたネパールの家族だ。

 

 

 

 

 

初めてこの家の中に入った時から

 

私は不思議な感覚を感じていた。

 

 

柔らかくって

 

ふわふわしていてあったかい。

 

大げさな感じではなくって

 

どことなく、そのまんまほっとするような。

 

優しい空気であふれていた。

 

 

 

 私はその空間に1人でいると

 

そわそわと落ち着かなくて

 

つい、アマの後ろについていく。

 

まるで子どものようだ。

 

 

 

 

私は物心ついた時から

 

「暖かい家族団欒」というものに

 

強い憧れを抱いている。

 

 

 

想像するのは食卓。

 

食卓にはお母さんが作った料理が並んでいる。

 

それを食べながら

 

今日あったことや、くだらないことで

 

みんなで笑いあう。

 

あったかくて、

 

ほのぼのして、

 

ほっとする家族の時間。

 

 

いつも、そんな理想の「家族団欒」を

 

想像しては胸が苦しくなる。

 

 

 

 

 

以前にもこの記事で少し書いたけど

 

hikarinonaka-h.hatenablog.com

 

 

私の母は病気を患っていて

 

いつも不機嫌そうだった。

 

 

食卓で私が母に向けて話す言葉は

 

いつも宙に浮いたまま、

 

行き場をなくしてぽとりと落ちる。

 

 

 

 

そして父はとても厳しい人で

 

私は父の思う「正義」や

 

「正しさ」の重圧に

 

いつも押しつぶされそうで怖かった。

 

 

 

いつ、何時、父の「正しさ」と

 

違うことを言ったり、行ったりして

 

殴られてしまうか、

 

私は常に緊張し、

 

やっぱり味噌汁をこぼしてしまう。

 

父の怒鳴り声と手が飛んでくる。

 

私は情けない気持ちで

 

床にこぼれてしまった味噌汁を拭く。

 

 

 

3つ下の妹は、今日もご飯を食べるのが

 

おそろしく遅い。

 

ゆっくりゆっくり、

 

この食卓を囲む空気すらも

 

食べているように見えた。

 

 

 

これが私が囲んでいる食卓の

 

いつもの風景、

 

シンッと静まり返った

 

いつもの空気。

 

 

 

 私はこの空気が苦しくて

 

逃れたくて、想像する。

 

暖かい、私の理想の「家族団欒」を。

 

 

 

そして今、目の前にその想像していた

 

柔らかくて、ほっとする

 

暖かい空間があった。

 

 

 

食卓でも、

 

朝の賑やかな時間でも、

 

午後の気だるい時間でも

 

どこでもかしこでもそこに感じられた。

 

 

 

彼らは、

 

テーブルの汚れも

 

テレビの調子の悪さも

 

子供たちのどうしようもない遊びも

 

ディディのふて寝も

 

アマの膝の痛みも

 

私の幼い行動も

 

全てを受け入れて愛していた。

 

 

 

 

受け入れるってこういうことなんだな。

 

受け入れられるってこういうことなんだなって

 

そしてその行為そのものが

 

ほっとするものなんだなって。

 

 

 

 

彼らの姿を見て、

 

その空間を感じて

 

やっと気がつくことができた。

 

 

 

 

私の思い出の中にある家族団欒は

 

ほっとできるものではなかったし、

 

いつもあの緊張感と

 

冷たい空気を思い出すと

 

悲しい気持ちで苦しくなっていた。

 

 

 

だけどその風景を思い出して

 

そんな私たち家族を

 

「なんだかいつも張り詰めていたねぇ。

 

どうしようもないねぇ。

 

みんな、いっぱいいっぱいだったねぇ。」

 

って受け入れて

 

そっと優しく包んで上げることはできる。

 

逃げなくていい、

 

否定しなくていい。

 

 

 

「これが私たちの団欒だったんだなぁ。」って

 

寄り添ってあげることはできる。

 

そう思ったら少し、愛おしい気持ちになった。

 

f:id:hikarinonaka-h:20171106200533j:plain

 アマと一緒に料理を作る時間は私の大切な大切な時間ー。

ネパールでの瞑想

私はとってもちっぽけだ。

 

振るとカラカラ音がしてしまうほどに

 

私の中身は空っぽだし

 

なーんにもない。

 

 

これは自分を卑下しているのではなくって

 

そういうものなんだなって

 

 

大声出して、

 

ジャンプしてたら

 

ふと、気がついた。

 

 

「人間はちっぽけだ。」

 

 

 

 

ネパール・カトマンズ

 

 

 

「うおーー!

 

うぉぉぉぉ・・・・・!!!」

 

 

私は喉が枯れるほどに

 

大声を出して、

 

変なリズムを

 

身体に刻みながらジャンプをしていた。

 

 

 

カトマンズから車で30分くらいの山奥にある

 

瞑想センター「OSHO TAPOBAN」。

 

 

ここではDynamic meditationと言って

 

その名の通り、

 

音に合わせて

 

身体を激しく動かし、

 

声を出し、

 

「動」の瞑想で

 

身体の中に溜まったものを出す。

 

 

 

そして音がやみ、

 

動きを止めて

 

「静」の瞑想に入り、

 

内観をする。

 

 

 

 

これを朝から晩まで

 

好きな時に

 

好きな動きで

 

瞑想を続ける。

 

 

 

 

 

私は座禅が好きで

 

日本でかれこれ5年半くらい、

 

禅寺に通っている。

 

山と緑に囲まれたその寺は

 

様々な生き物と植物の声が

 

春夏秋冬、

 

心地よく変わっていく様が

 

とても気持ちいい寺だ。

 

 

 

 

座禅を始めたきっかけは

 

あるプロジェクトチームの

 

リーダーをしていた時、

 

どうしても好きになれない人がいた。

 

いや・・・

 

もう、大っ嫌いだった。

 

話し方も、内容も、

 

仕草も、何もかも・・・

 

彼女の全てが嫌いだった。

 

 

私が人を嫌いになることは

 

とにかく珍しい。

 

どんな人でもウェルカムの私なのに


彼女と話すと

 

衝突してしまう自分が嫌だった。

 

自分の中の

 

どろどろした感情で

 

手に負えなくなる自分が嫌だった。

 

「どうして彼女を好きになれないのだろうか』

 

「どうして衝突してしまうのだろうか」

 

頭では分かっていても

 

心がついていかない。

 

 

その心を整えたくて、

 

座禅を始めた。

 

 

結局その2ヵ月後、

 

彼女がプロジェクトから降りることになり

 

彼女とは分かり合えないまま、

 

お別れをしてしまったけど

 

そのまま座禅だけは続けている。

 

 

 

 

座禅ではいつもただ、

 

静かに足を組む「静」の

 

瞑想だけだったから

 

OSHO TAPOBANの

 

「動」の瞑想は初めてで、

 

戸惑いを覚えた。

 

 

 

 

みんななぜだか

 

にこにこ笑顔で

 

気持ち良さそうに

 

ぴょんぴょん跳ね、

 

首を振り、

 

身体をぶるぶる揺らし、

 

奇声を発する・・・

 

 

私はなんとなく、

 

その場に馴染めず

 

控えめに身体を揺らしていた。

 

 

「こういう風にトランス状態に

 

持っていくんだね。

 

この後、教祖とか出てきちゃったりして。

 

あの人、すごいリズムだな・・・・」

 

頭の中がくだらない思考でいっぱいになる。 

 

 

 

 

私は怖かった。

 

周りからどう見られるのか、

 

バカにされないか、

 

だから私は頭で理解しようとする。

 

いつだってそうだ。

 

ぐるぐる頭で考えて

 

分かったふりをして

 

自分を守ろうとしてしまう。

 

 

 

 

 

怪しくても、

 

教祖が出てこようと

 

もう、なんでもいい。

 

 

私はそんな私を超えていきたい。

 

 

 

 

 

目を閉じて

 

聞こえる音だけを頼りに、

 

揺らす、揺らす・・・・

 

身体が気持ちいいように

 

ぐねぐね動かして

 

音と身体に耳をすます。

 

 

気づいたら私は大声をあげていた。

 

「うぉーーーー!!

 

おおおおおーーー!!」

 

自分の声が頭の中に響く。

 

 

足が地面についているのか

 

いないのか境目が

 

もうよく分からない。

 

 

とにかく動かせ。

 

自分の身体を。

 

 

 

私が思っていること、

 

持っていること、

 

やってきたこと、

 

そんなもの全部、捨ててしまえ。

 

 

 

 

思考も、習慣も、気持ちも。

 

ぜんぶ出して空っぽにするんだ。

 

 

 

 

人はそもそも、

 

ちっぽけなものではないか。

 

 

一つ一つの行動や人生に

 

何か意味をつけて

 

思いや思考で装飾をして

 

ゴテゴテにして

 

大きく、立派に

 

見えるようにしているけど

 

 

 

本来は何にもない。

 

そこには何にもない。

 

勝手に私たちが

 

存在を意味づけをしているだけで

 

本来はただ、

 

その場、その時に「ある」だけ。

 

 

 

 

人の好き嫌いも、

 

どろどろした感情も

 

不安も

 

本来はそこに、何もない。

 

 

 

 

私の勝手な経験や思考を

 

ゴテゴテにくっつけて

 

意味づけをして、

 

勝手に囚われて、

 

勝手に憎んでただけだった。

 

そしてそんな自分自身も。

 

 

 

 

私は空っぽになりたい。

 

カラカラ音がするくらい。

 

常に、そのままで

 

その時「ある」ことだけを感じていたい。

 

 

 

 

 そんなことを強く感じながら

 

私はまた飛び跳ねる。

 

 

 

私の前にいた女性が

 

心底、嬉しそうに

 

大きな口を開けて

 

両手を広げて

 

ぐるぐる回っているのが見えた。

 

f:id:hikarinonaka-h:20171105202048j:plain

 

ミャンマー人の優しさ

 

ミャンマー

 

初めてこの国に降り立った時、

 

私は帰宅途中の

 

ミャンマー人に埋もれながら

 

トラックの荷台に乗っていた。

 

 

 

みんな私のことを少し気にかけながらも

 

特別なコミュニケーションも

 

会話も、何もない。

 

だけど不思議と

 

あったかく見守られているような

 

そんな空間だった。

 

 

 

 

大きなバスが行き来する場所に近づいた時、

 

斜め前にいたご老人が

 

「あなたはスーレーまで行くんだろう?

 

ここで降りてバスに乗りかえなさい」

 

と教えてくれた。

 

 

 

きっと旅行者の私を

 

ずっと気にかけてくれていたんだろう。

 

初めて聞くそのご老人の声は

 

とても優しい口調だった。

 

 

 

 

 

そしてトラックを降りた後も

 

同じ方向に向かう女性が

 

すっと歩みを共にしてくれ

 

「バスはこっちだよ。」と

 

スーレー行きのバス停まで連れてってくれた。

 

 

 

 

 

バスに乗っても

 

私のスーツケースが動くと

 

そっと止めてくれる人、

 

 

 

「もうすぐ左側に大きなパゴダが

 

見えるから見ていてごらん」

 

と教えてくれる人・・・・

 

 

 

 

どの人もその前後にコミュニケーションはない。

 

私に色々、聞いたり会話をしたりはしない。

 

 

 

 

ただ、

 

淡々と

 

淡々と

 

優しい行動や

 

言葉を

 

その都度、都度で

 

そっと控えめに渡してくれる。

 

 

 

 

 

私も

 

淡々と

 

淡々と

 

受け取った。

 

 

 

この行き来がとても心地よいのだ。

 

 

 

そこには大げさな笑顔も

 

ボディランゲージも、

 

大きな声もない。

 

目に見えるものは控えめだけど

 

ただ、

 

優しさだけがそのままあった。

 

 

 

 

これはこの時だけでなくて

 

ミャンマーにいた8日間で

 

至る所で感じられた。

 

 

 

観光地の真ん中でも

 

小さな町の中でも

 

立ち寄った食堂でも

 

軒先きでも・・・・

 

 

 

 

そんなミャンマー人を見て

 

私は

 

相手に対して

 

ただ、優しさをそのまま渡すことが

 

果たしてどのくらいできているだろうか。

 

と考えていた。

 

 

 

 

 

私は、その優しさの行動や言葉に

 

「相手が喜んでくれたらいいな」

 

という気持ちも

 

一緒に差し出してしまってはいないか。

 

 

 

 

場合によっては

 

「ここまでしてあげてるんだよ」

 

という押し付けのような気持ちまで・・・。

 

 

 

 

 

初めは相手のことだけを

 

純粋に思って

 

「優しさ」というものを

 

差し出そうとしていたのに

 

そこに

 

自分の気持ちや

 

想いをどんどん乗っけて、

 

本来の「優しさ」とはかけ離れた

 

相手に渡していることはないだろうか。

 

 

 

 

 

ただ、ただ、純粋に

 

そっと

 

相手を思って差し出す。

 

 

 

ミャンマーの人々を見ていて

 

私も彼らと同じように

 

そっと、

 

優しさを差し出したくなった。

 

f:id:hikarinonaka-h:20171028141743j:plain

市場っていいよね〜。

 

 

行動すること。

チェンマイで旅行会社を経営する

 

ヌーさんとお夕飯をご一緒させてもらった。

 

(岡部さんには多大な感謝。) 

 

ヌーさんは旅行業に限らず、

 

コムローイを自分のところでプロデュースしたり、

 

コンサートを開こうとしたり、

 

一つの枠に止まらず、

 

どんどん新しいことに

 

チャレンジしている40歳の女社長だ。

 

彼女はビールをぐいっと飲んでこう言った。

 

 

「なんでもチャレンジしてみないと

 

分からないでしょう?

 

行動してみて初めて、

 

色々なことが見えてくる。

 

ここがいいな、ここは違うな、

 

ここはもう少し勉強が必要だな・・・とか。

 

そういうのもただ、行動をしないで

 

頭の中だけで考えてても

 

なーんにも見えてこないもの。

 

まずは行動してみること。

 

行動しないと何も始まらないわ。

 

頭の中だけじゃ、

 

ビジネスなんでできないのよー!」

 

彼女は愉快そうに笑った。

 

 

 

 

これはビジネスもそうだけど

 

人生もそうだと私は思う。

 

 

 

 

 

 

「私は自分の足で自分の人生を歩みたい」

 

そう決意したのは私が24歳、娘が4歳の時。

 

 

 

それまでの人生は

 

ただ、周りに流されるように生きて、

 

自分の好みも得意なことも

 

考えたことがないくらい、

 

私はどうしようもないほど

 

自分の人生を放棄していた。

 

 

 

何も変えようとせず、

 

じっとその場に立ち止まっては

 

「人生ってそんなもんでしょ」と

 

ただ、ただ、世界を斜めに見ては

 

空っぽの自分を隠していた。

 

 

 

 

 

 

だけど私はもう自分の人生を

 

誰かの手に委ねたままにしたくなかった。

 

 

 

私は何が好きで、何に喜び、

 

どんな人生を歩みたいのか

 

生まれて初めて考え、

 

人生と自分について向き合いはじめた。

 

 

だけど考えても考えても

 

大した考えは浮かばなかった。

 

 

 

「んーー・・・。

 

私は何が好きなんだろう?

 

あっ。人と話すのは大好き!」

 

 

「朝、カフェでゆっくりするのも好きだなぁ・・・。」

 

 

「じゃあ、朝ごはんのカフェでもやろうかな?!」

 

 

・・・・

 

全くもって低レベル(笑)

 

こんなことしか思い浮かばなかったけど

 

 

 

私はOLを辞め、

 

オーガニックカフェに勤めはじめ、

 

そのうちに店長を任せてもらうようになり、

 

無農薬農家さんの畑で出会った野菜の

 

美味しさと命あふれるパワーに感動し、

 

「これはカフェなんかやってる場合じゃない!

 

こんなにパワーがある野菜そのものを販売したい!

 

そして子ども達の腹の底から元気にするんだ」と、

 

新しい情熱を燃やし、

 

 

小さな軽トラックを買って

 

オーガニック野菜の

 

移動販売を始めた。

 

 

 

その後、それと並行して

 

オーガニック野菜の講師、

 

ファーマーズマーケットの運営、

 

講演活動など活動を広げ、

 

お店を構えることができた。

 

 

スタッフさん達とお客さんと

 

一緒にお店を育て、

 

(ここでの時間は私の大切な宝物です。

 

本当に皆々様ありがとう)

 

 

地元の企業にオーナー権を売却し、

 

世界一周旅行に出ている(←今ここ)

 

 

 

 

 

行動して、景色が動いて

 

学び、喜び、反省し、

 

笑って、泣いて、ワクワクして・・・・

 

動いたからこそ、見えたもの、

 

感じられたことがたくさんあった。

 

 

 

人生は行動の連続で出来ている。

 

立ち止まっているだけでは

 

見える景色は全く変わらない。

 

自分から歩みを進めて

 

初めて景色は流れ、

 

風向きが変わるのだ。

 

 

 

 

私がヌーさんの歳になるまであと7年。

 

7年後の私もヌーさんみたいに

 

新しいことにまだまだチャレンジして

 

新しい景色を見ていたいな。

 

 

f:id:hikarinonaka-h:20171020200823j:plain

チェンマイの路地ってどことなく日本と似ていて、落ち着く〜。